なぜ私は「引き算の美学」で生きることにしたのか

このブログを始めるにあたって、自分が1980年代生まれだと書いた。

振り返ると、私が大人になるまでの時代は、今よりも「持つこと」に価値があったように思う。

欲しかったモノを手に入れる。
少しずついいモノに買い替える。
収入が増えれば、買えるモノも増えていく。

若い頃の私も、それを疑っていなかった。

むしろ、増えていくことが前に進んでいる証拠のように感じていた。

所有することが好きだった

私は昔からモノが好きだった。

腕時計、クルマ、CD、レコード、本、ガジェット。

欲しいモノを調べ、比較し、悩んで、ようやく手に入れる。その時間も含めて楽しかった。

高級腕時計を買ったこともある。輸入車にも乗った。CDやレコード、本もたくさん持っていた。新しいガジェットが登場すれば気になった。

今でも、モノが嫌いになったわけではない。

もともと、ミニマリストに憧れていたわけでもない。むしろ反対だったと思う。

持つことの楽しさを知っているし、今でも気に入ったモノを所有する喜びはある。

ただ、若い頃はあまり考えていなかったことがある。

持つということには、その後がある。

増えていたのは、モノだけではなかった

年齢を重ねるにつれて、増えていったのは所有物だけではなかった。

仕事では責任が増える。
人との付き合いも増える。
契約するサービスが増える。
銀行口座やクレジットカードも増える。
スマートフォンにはアプリが増え、毎日入ってくる情報も増えていく。

気づけば、生活の中には「管理しなければならないもの」が随分増えていた。

ひとつひとつは、それほど大きな負担ではない。

だから気づきにくい。

私自身も長い間、気にしていなかった。

まだ大丈夫。
これくらい普通だ。
もっと頑張れる。

そう思っていた。

40代で、抱えられる量には限界があると知った

そんな考え方が変わったのは、40代になってからだった。

仕事。人間関係。住環境。日々の細かな問題。

いくつもの負担が重なっていた時期がある。

それでも私は、それまでと同じように対処しようとしていた。

我慢する。
頑張る。
自分で何とかする。

多少無理をしても、そのうち落ち着くだろうと思っていた。

きっかけの一つは、引っ越しだった。

必要に迫られてモノと向き合ったその経験については、また別の記事で書くつもりだ。

それと前後して、心と身体がついてこなくなった時期があった。

それまで普通にできていたことが、普通にできなくなっていった。

何が起きていたのかは、これも別の記事に譲りたい。

ただ一つ言えるのは、私はそこで初めて、自分が抱えられるものには限界があることを知った、ということだ。

「まだ大丈夫」と思っていたのは、自分だけだったのかもしれない。

頑張ることより、減らすことを考えるようになった

それまでは、何か問題が起きると「何をすれば解決できるか」を考えていた。

新しい方法を探す。
新しいモノを買う。
もっと努力する。
できることを増やす。

つまり、ここでも足し算だった。

けれど、心身の余裕を失った状態では、何かを足すこと自体が負担になる。

そこで少しずつ考え方が変わっていった。

何を足せばいいかではなく、何をやめられるか。

何を持たなくていいか。

何から離れられるか。

何を考えなくて済むようにできるか。

足すことではなく、引くことで解決できることもある。

そう考えるようになった。

手放してみると、少しだけ軽くなった

もちろん、突然生活のすべてを変えたわけではない。

できるところから少しずつ減らしていった。

使っていないモノを手放す。
必要のない契約をやめる。
増えすぎた選択肢を整理する。
無理に付き合わなくてもいい関係から距離を置く。
自分が背負わなくてもいいことまで抱え込まない。

ひとつ減らしたからといって、人生が劇的に変わるわけではない。

ただ、少し楽になった。

モノが減れば、管理するものも減る。

選択肢が減れば、迷う時間も減る。

やらないことを決めれば、時間にも少し余白ができる。

それを何度か経験するうちに、「減らす」という行為に対する印象が変わっていった。

以前の私にとって、減らすことは失うことだった。

今は少し違う。

余計なものを減らすことで、残したいものが見えやすくなる。

それでも、好きなものは残したい

だからといって、何も持たない生活を目指しているわけではない。

腕時計もクルマも、若い頃から好きだった。

その感覚は、今もそれほど変わっていない。

気に入ったモノなら、多少高くても長く使いたい。

自分にとって価値のあるものを残すために、それ以外を減らしたい。

若い頃は、欲しいものを増やしていった。

今は、残したいものを選ぶようになった。

同じ「好きなものを持つ」でも、少し意味が変わった気がする。

人生の後半は、少しずつ引き算で

人生の前半は、足し算だった。

モノを増やした。
経験を増やした。
仕事を覚えた。
人と出会った。

それはそれで必要な時間だったと思う。

だから、昔の自分を否定するつもりはない。

たくさん持ったからこそ、手放してもいいものが分かる。

増やしてきたからこそ、減らす意味も分かる。

40代になった今、これから先も同じように増やし続ける必要はないと思うようになった。

人生の前半が「足し算」だったのなら、後半は少しずつ「引き算」にしてみる。

私にとっての「引き算の美学」は、そこから始まった。

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