40代で心身の限界を経験して、人生から「足し算」をやめた

人生には、自分の限界を知る瞬間がある。

私にとって、それは40代で訪れた。

当時の私は、ごく普通の会社員だった。

真面目に働き、責任を果たし、将来に備える。

周囲の期待に応え、与えられた役割をきちんと果たす。

それが大人として当たり前のことだと思っていた。

努力は美徳。

我慢は当たり前。

弱音を吐くのは甘え。

そんな価値観の中で育った私は、多少つらくても「まだ大丈夫」と自分に言い聞かせていた。

仕事も、人間関係も、住環境の問題も。

無理をしながら受け入れていた。

しかし、人間の心と身体には限界がある。

小さな無理を積み重ねていくうちに、眠れない夜が続くようになった。

息苦しい。

動悸がする。

喉に何かが詰まったような違和感がある。

めまいのような感覚もあった。

病院で検査を受けても、大きな異常は見つからない。

それでも、確かに心と身体は悲鳴を上げていた。

私は、自分が思っていた以上に無理をしていたのだ。

「まだ大丈夫」を繰り返していた

振り返ると、突然限界が来たわけではなかった。

その前から、いくつものサインはあった。

疲れている。

眠れない。

気持ちが落ち着かない。

それでも翌朝になれば仕事へ行く。

休日に少し休んで、また一週間を始める。

「これくらい普通だ」

「みんな頑張っている」

「もう少し頑張れば何とかなる」

そうやって、自分の感覚よりも「こうあるべき」を優先していた。

今思えば、身体はずっと「少し減らしてほしい」と訴えていたのかもしれない。

それを無視して、私はさらに頑張ろうとしていた。

頑張ることで解決しないこともある

それまでの私は、問題が起きると何かを足して解決しようとしていた。

もっと努力する。

もっと我慢する。

もっと考える。

もっと頑張る。

足りないものを補えば、状況は良くなると思っていた。

仕事でも同じだった。

うまくいかなければ努力を増やす。

疲れていても責任を優先する。

周囲に迷惑をかけないよう、自分の中で処理する。

それで何とかやってこられた時期もあった。

だから、その方法を疑わなかった。

しかし、心身の限界を経験して初めて気づいた。

頑張ることで解決しないこともある。

むしろ、頑張ること自体が負担になっている場合もある。

必要なのは、さらに何かを足すことではなく、すでに抱えているものを減らすことなのかもしれない。

それまでの私には、ほとんどなかった発想だった。

「できるか」ではなく「続けられるか」

限界を経験してから、物事を見る基準も少し変わった。

以前は「できるか、できないか」で考えることが多かった。

多少無理をすればできる。

頑張れば何とかなる。

だったらやる。

そんな判断をしていた。

でも、「できる」と「無理なく続けられる」は違う。

一度ならできることでも、それを毎日、毎週、何年も続ければ負担になることがある。

仕事も。

人間関係も。

暮らしも。

お金も。

一つひとつは小さな負担でも、重なれば確実に重くなる。

40代になって、ようやくその当たり前のことに気づいた。

今は「できるか」だけではなく、「これを続けても大丈夫か」と考えるようになった。

人生から少しずつ「足し算」をやめた

心身の限界を経験したからといって、翌日から人生が大きく変わったわけではない。

仕事を辞めたわけでもない。

すべての人間関係を整理したわけでもない。

何もかも捨てたわけでもない。

今も普通の会社員として働いている。

ただ、以前ほど何でも抱え込まなくなった。

無理なものは無理だと考える。

必要以上に期待に応えようとしない。

自分だけで何とかしようとしない。

そして、何か新しいものを足す前に、今抱えているものを見直す。

ほんの少しずつだが、そういう選択が増えた。

減らすことは、逃げることではなかった

以前の私は、「減らす」という行為にどこか後ろ向きな印象を持っていた。

諦める。

逃げる。

妥協する。

そんなイメージがあったのだと思う。

でも実際に自分の限界を知ってからは、少し違って見えるようになった。

抱えられる量には限界がある。

時間にも限界がある。

体力にも限界がある。

気力にも限界がある。

ならば、何を抱えるのかを選ぶしかない。

すべてを持とうとしない。

すべてに応えようとしない。

すべてを完璧にやろうとしない。

それは諦めではなく、自分の限られた時間とエネルギーを、どこに使うかを選ぶことだった。

限界を知ってから、見える景色が変わった

心身の限界を経験したことを、良かった出来事だったとは思わない。

できれば経験したくなかった。

ただ、あの時立ち止まらなければ、今も同じように「まだ大丈夫」と言いながら、何かを足し続けていたかもしれない。

もっと頑張る。

もっと持つ。

もっと応える。

もっと我慢する。

そうやって重くなっていくことに、自分では気づかないまま。

今は少し違う。

足りないものを探すより、抱えすぎているものがないかを見る。

何かを増やす前に、減らせるものはないか考える。

この経験は、やがて私が「引き算の美学」と呼ぶようになる考え方につながっていった。

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