漏れた個人情報は戻らない。だから、本人確認の仕組みを変えたい。
海外の空港で入国審査を受けるとき、私たちはパスポートを提示する。
審査官は本人であることを確かめ、入国する資格があるかを判断する。それは必要な手続きだ。
けれども、もし「パスポートをコピーして、何年か保管します」と言われたらどうだろう。いつ誰に見られ、どこに保管されるのか。不要になったらちゃんと廃棄されるのか。きっと気になるはずだ。
ところが、私たちはインターネットで似たことを日常的に受け入れている。サービスを利用するために、運転免許証の画像を送り、氏名、住所、生年月日、電話番号を登録する。企業はその情報を何年も持ち続けていることがある。
私たちは保管場所を見たわけでも、セキュリティの水準を調べたわけでもない。名の知れた有名な大企業であり、今まで何も問題が起きていなかったから。
安全だと確認したのではない。安全だと信じていただけなのかもしれない。
もちろん空港の入国審査と民間サービスへの登録は、法的な位置づけも管理の仕組みも同じではない。それでも「本人確認のために見せた情報が、その後どう管理されるかを利用者は十分に知らない」という問題を考えるには、分かりやすい例えだと思う。
660万件超。ニュースが、自分の問題になった。
2026年9月、カーシェアリングサービス「タイムズカー」のWebシステムに不正アクセスが発生した。10月23日の会社発表によると、氏名・住所・生年月日・電話番号・メールアドレス・運転免許情報など6,628,007件について、外部送信の痕跡が確認された。これはアカウント等の件数であり、異なる個人660万人という意味ではない。
暗号化された本人確認書類画像についても1,464,800件で外部送信の痕跡が確認された。暗号化された画像が直ちに読める状態だったと確認されたわけではない。
私にもその通知は届いた。氏名、住所、生年月日、電話番号、メールアドレス、免許証番号・種別・有効期限。免許証画像の漏えいは、私の個別通知には書かれていなかった。
パスワードなら変更できる。クレジットカードなら再発行できる。では、生年月日は。運転免許証番号は。
一度第三者に取得された情報は、企業がシステムを復旧しても取り戻せるものではない。将来悪用されるかどうかは分からない。しかし、その不確実性を長く背負うのは利用者だ。
漏れた情報は、偽造の材料にもなる。
氏名、住所、生年月日、免許証番号、免許の種類、有効期限。
これらを組み合わせれば、悪意ある第三者が本物らしい偽造免許証を作るための材料になり得る。免許証の画像が流出していなくても、記載事項が正確にそろうことには意味がある。
もちろん、番号などを知っただけで、本物のICチップや電子署名まで複製できるわけではない。ICチップの真正性を適切に検証する本人確認では、表面を似せた偽造品を見破ることができる。一方で、画像や目視による確認に頼る場面には、なお悪用の余地がある。
実際、偽変造された本人確認書類への対策として、金融機関などでの本人確認方法は見直されている。2027年4月1日からは、金融機関の口座開設時などにおける本人確認方法が見直され、ICチップ付き本人確認書類については、ICチップ情報の読み取りによる確認が原則となる。制度の対象や手続きには違いがあるものの、書類の見た目だけでは足りないという問題意識は共通している。
怖いのは、情報が盗まれたその日だけではない。
数年後、どこかで自分の知らない契約が結ばれたり、身に覚えのない取引の確認を求められたりするかもしれない。そうしたことが必ず起こるという意味ではない。ただ、起きないと断言できない不安を、当事者が引き受ける構造は変わらない。
漏えい企業がシステムを復旧しても、盗まれた情報が消えるわけではない。だから、本人確認の仕組みそのものを見直す必要がある。
攻撃された企業にも、預かった責任はある。
企業はサイバー攻撃の被害者である。同時に、顧客情報を預かり、管理する責任を負う立場でもある。これは矛盾しない。
今回、タイムズカーを運営するタイムズモビリティはプライバシーマークの付与事業者だった。制度を運営するJIPDECは事故報告を受け、調査と適切な対応を求めた。第三者認証に意味がないとは思わない。ただし、認証は「攻撃されない保証書」ではない。
会社は従来、本人確認書類画像を会員期間中と退会後7年間保管していたという。事件後、登録確認が終われば画像を保管しない運用に改め、既存画像を10月末までに削除する方針を示した。
では、従来の7年間という期間を決めたとき、保管の必要性と流出時のリスクを十分に比較したのだろうか。正当な目的があったとしても、そのリスク評価を説明することはできるはずだ。
同社は暗号化された本人確認書類画像の外部送信が確認された対象者に、3,000円相当のお見舞金を支払う方針を示した。だが、お見舞金の金額だけが問題なのではない。
将来、漏えいした情報によるなりすましが疑われたとき、企業は調査と立証にどこまで協力するのか。被害者をいつまで支えるのか。 そこまで明らかにして初めて、信頼回復の話が始まるのではないか。
提案1|漏えいした免許証番号は、希望すれば全面変更できる制度を。
通常の運転免許証の再交付では、12桁の番号の上11桁は引き継がれる。これでは、漏えいした番号への対策として効果が限定される。
そこで、一定規模以上、または本人確認上の重大な危険性がある漏えい事故について、国が対象事案を指定し、被害者が希望すれば番号を全面変更できる特例制度を提案したい。
もっとも、新しい番号を発行するだけでは足りない。旧番号を使った不正な本人確認を検知できる仕組み、新旧番号の厳重な管理、既存契約との整合性、なりすまし防止効果の検証が必要だ。氏名や生年月日まで消えるわけでもない。
国が制度を設計し、費用を行政・事業者・原因企業の間でどう分担するかを、責任の程度に応じて議論する。原因企業に法的な費用負担を義務付けるなら、その根拠も必要になる。
予防に投じる費用と、回避できる不正契約・調査・救済の社会的費用を比べたい。なお、民間企業の漏えいによる将来の詐欺被害を、現在の制度で国が税金から一律補償するわけではない。
提案2|証明書を見せるのではなく、必要な資格だけ証明する。
今回の事件は、デジタル化の弱点も映し出した。
2026年9月末時点で、全国のマイナ免許証保有者は4,207,463人。ところがタイムズカーが案内していたマイナ免許証の登録方法は、警察庁の読み取りアプリで免許情報の画像を生成し、その画像をWebサイトにアップロードするものだった。
デジタルの免許証を、もう一度「提出用の画像」に戻していたわけだ。今回の流出対象にマイナ免許証利用者が何人いたかは、会社の公表資料から確認できない。マイナンバーそのものやカードの秘密鍵が漏れたという確認もない。
それでも、この手続きは考えさせられる。
カーシェアリング会社が本当に確認したいのは、有効な免許の有無と、運転できる車種の区分のはずだ。法令上、運転者情報の記録が必要な範囲はあるとしても、免許証画像を長期間保管することと同じではない。
そこで考えたいのが、「暗号証明書(Crypto Credential)」という仕組みだ。暗号資産とは別物である。
公的な発行者が、改ざんを検出できる電子的な資格証明を発行する。本人がスマートフォン等で保持し、必要な項目だけを選択して相手に提示する。受け取る側は電子署名と失効状態を検証する。
公開鍵暗号、検証可能な資格証明(VC)、選択的開示といった技術の組み合わせで実現できると考えられる。暗号資産にも使われる技術が含まれるが、個人情報をブロックチェーン上に載せる必要はない。むしろ、削除できない公開台帳に個人情報を残さない設計が望ましい。EUではデジタル・アイデンティティ・ウォレットの整備が進み、国内でもデジタル庁がマイナンバーカードの機能をスマートフォンで使えるようにする仕組みを進めている。方向性は、すでに現実の政策課題になっている。
デジタル化の目的は、企業がデータを集めやすくすることではない。企業に渡さずに済む情報を増やすことだ。
提案3|運転記録証明書も、必要な条件だけを即時検証する。
昔ながらの「運転記録証明書」にも、同じ問題があると思う。これは「運転経歴に係る証明書」の一種だ。
自動車安全運転センターは、過去1年・3年・5年の交通違反、事故、行政処分の記録を証明している。電子申請は既に可能だ。しかし、申請のオンライン化と、必要な運転経歴をその場で検証できることは別だ。
もし本人が同意し、会社が「指定した期間に重大な違反がないか」「業務に必要な安全基準を満たすか」だけを公的な暗号証明で確認できればどうだろう。毎回紙の証明書を取り寄せたり、必要以上に詳細な経歴を保存したりする負担を減らせる。
一方で、重大事故の再発防止や個別指導には、違反内容を詳しく確認すべき場合もある。運輸・物流・旅客などの業務では、必要に応じて詳細情報を本人の同意と適切な手続きのもとで利用できるようにする。何でも隠せばよいわけではない。
運転記録証明書の手数料は現在1通800円。発行主体は警察そのものではなく、警察庁所管の自動車安全運転センターだ。制度を変えれば、証明事業の収入や運営費の構造にも影響する。そこは透明に議論し、信頼できる公的証明を持続させる財源を設計し直せばよい。
信頼を捨てるのではない。信頼への依存を減らす。
企業に「気をつけてください」と求めることも、利用者に「不審な電話に注意して」と呼びかけることも必要だ。
それでも、人間のミスをゼロにはできず、あらゆるサイバー攻撃を防ぐこともできない。
だから、守り方を変える。
漏えいした番号は、必要なら変えられる。被害者には、将来にわたる相談と支援の道を残す。資格の確認は、元の個人情報を丸ごと預けずに行う。企業がどれほど誠実でも、失敗したときの被害を小さくできる設計にする。
信用することと、預けることは同じではない。
必要な情報を、必要な相手に、必要なときだけ。
軽いは正義。個人情報も、そうあるべきだ。
参考資料・事実確認先(2026年10月28日現在)
1. タイムズカー「個人情報漏えいに関するご報告と今後の対応について(第5報)」2026年10月23日
2. JIPDEC「付与事業者で発生した事故等への対応状況について」2026年9月29日
3. 警察庁「運転免許証の番号等の形式及び内容について」
4. 警察庁「令和8年9月末時点のマイナ免許証保有者数」
5. タイムズカー「マイナ免許証のアップロード方法」
6. 自動車安全運転センター「運転経歴に係る証明書」
7. 自動車安全運転センター「証明書交付手数料改定のお知らせ」
8. 自動車安全運転センター「運転経歴に係る証明書申請アプリ」
9. W3C「Verifiable Credentials Data Model v2.0」
10. EU Digital Identity Wallet「選択的開示について」
11. デジタル庁「カード代替電磁的記録(属性証明機能)」
12. 神奈川県警察「運転免許証について」(ICチップと偽造防止)
13. 警察庁「犯罪収益移転防止法に関する年次報告書(2025年)」(本人確認方法の見直し)
本稿は筆者の被害経験と公表資料に基づく意見・政策提案であり、特定企業の法的責任を確定するものではない。制度の実現には、法改正の要否、費用、セキュリティ、プライバシー、本人同意、対象者の公平性などの検証が必要である。

