同棲の終焉とともに、暮らしは一度リセットされた。
3LDKのマンションから1Kのアパートへ。
同棲してからの15年間で増えた荷物を見直し、多くを手放した。
冷蔵庫、洗濯機、オーブンレンジ。共用していた家電も手元には残らない。
新しい部屋に持ち込んだのは、私物と段ボール数箱。
生活をゼロから組み立て直す必要があった。
ミニマリストになろうと決意したわけではない。
理想の暮らしを追い求めたわけでもない。
限られた空間と予算の中で、本当に必要なものだけを選び直すしかなかったのだ。
1Kに入りきらなかった15年分の荷物
とはいえ、15年かけて増えた荷物が、いきなり1Kの部屋に収まるわけではなかった。
引っ越しの際に手放せるものは処分した。
それでも入りきらない。
仕方なく、近所に0.9帖のトランクルームを借りた。
新しい部屋の家賃に加えて、毎月トランクルームの料金もかかる。
1Kに引っ越して暮らしは小さくなったはずなのに、部屋の外には「もうひとつの収納」を借りている。
何のために小さな部屋へ移ったのか。
この状態を早く終わらせたかった。
トランクルーム代をなくすためにも、持ち物をさらに減らそうと思った。
休日になると荷物を見直した。
これは本当に使うのか。
「いつか使う」と思っているだけではないか。
わざわざ毎月お金を払ってまで、持ち続けたいものなのか。
トランクルームに置かれたモノを前にすると、その問いはかなり現実的だった。
モノには、買うときの値段だけでなく、持ち続けるための値段もある。
あのときほど、それを実感したことはない。
当時の私は、とにかく必死にモノを減らした。
それでも簡単ではなかった。
荷物はかなり減ったものの、結局トランクルームを解約できるところまでは至らなかった。
「減らしたい」と思っていても、長年持ってきたものを一気に手放すことはできない。
必要なもの。
思い入れのあるもの。
いつか使うかもしれないもの。
そして、ただ手放せないもの。
その区別も、当時の私にはまだ曖昧だったのだと思う。
ゼロから見えた「本当に必要なもの」
一方で、生活そのものはほぼゼロからの再スタートだった。
何もない状態になると、不思議とモノを選ぶ基準がシンプルになる。
「欲しいもの」ではなく、「使うもの」。
「持っておきたいもの」ではなく、「なくては困るもの」。
冷蔵庫も必要だった。洗濯機も必要だった。眠る場所も必要だった。
生活に必要なものから、一つずつ買い揃えていった。
限られた予算と空間の中では、何となく買う余裕もない。
本当に必要なのか。
置く場所はあるのか。
買ったあとも使い続けるのか。
以前より、買う前に考えるようになった。
最初は必要に迫られて始めたことだった。
でも、モノが減っていくにつれて、少しずつ暮らしやすくなっていった。
管理するものが減る。
掃除が楽になる。
探し物が減る。
何を持っているのか把握しやすくなる。
モノを減らすことに、私は少しずつ面白さを感じるようになった。
そして今度は、自分から積極的に減らすようになっていった。
先輩ミニマリストを真似してみた
その頃から、書籍やSNSでミニマリストの暮らしを見るようになった。
財布は薄く。家具は最小限。所有物はできるだけ少なく。
余計なモノのない部屋は、確かに魅力的に見えた。
自分も、もっと減らせるのではないか。
そう思った。
最初は必要に迫られて始めた断捨離だったはずが、いつの間にか「もっと減らしたい」という気持ちが強くなっていた。
そして、少しやりすぎた。
ソファベッドを手放して、ベッドを買い直した
ソファベッドを手放した。
代わりに寝袋とコットで眠る生活を試した。
これなら場所を取らない。畳めば部屋を広く使える。引っ越すことになっても身軽だ。
理屈では、とても合理的に思えた。
でも、実際に生活してみると違った。
熟睡できない。
疲れが取れないまま朝を迎える。
そして、その状態で仕事へ行く。
モノは減った。部屋も広くなった。
でも、生活の質まで下がってしまった。
睡眠は毎日の土台になる。
そこを削ってまでモノを減らす意味はなかった。
結局、ベッドと布団を買い直した。
デスクチェアも買い直した
同じようなことを、デスクチェアでもやった。
椅子を手放して、スタンディングデスクだけの環境にしてみた。
立ったまま作業すれば、椅子はいらない。部屋も広くなる。座りっぱなしにもならない。
これも理屈では悪くなかった。
しかし、長時間の作業になると集中力が続かなかった。
疲れたときに座って作業する場所もない。
結果として、作業効率まで落ちた。
そして、デスクチェアも買い直した。
ベッドも、デスクチェアも、一度は「なくても生活できる」と判断したモノだった。
確かに、なくても生きてはいける。
でも、
「なくても生きられる」と「ないほうが快適」は、まったく違う。
当時の私は、その違いを見落としていた。
減らせば減らすほど、軽くなるわけではなかった
この二つの失敗から、ようやく気づいた。
私はいつの間にか、「減らすこと」そのものを目的にしていた。
モノが少ないほどいい。
家具がないほど身軽だ。
所有物は少なければ少ないほどいい。
そんな思い込みがあった。
でも、本来は逆だった。
暮らしを快適にするために減らすのであって、減らすために暮らしを犠牲にする必要はない。
ミニマリズムは競技ではない。
持ち物の数を誰かと競うものでもない。
SNSで見た誰かの部屋を再現することでもない。
他人にとって不要なものが、自分にも不要とは限らない。
自分の身体。仕事。趣味。生活リズム。暮らしている場所。
必要なモノの量は、人によって違う。
私に必要だったのは、極限までモノを減らすことではなかった。
自分にとって快適な量を見つけることだった。
「少数精鋭」を、実感として理解した
あの頃はまだ、「少数精鋭」という言葉をどこか頭で理解していただけだったのだと思う。
ソファベッドとデスクチェアで遠回りをして、ようやく実感として分かるようになった。
とにかく捨てるのではなく、残すものを考える。
毎日使うもの。
生活の質を支えてくれるもの。
長く使いたいと思えるもの。
自分の時間や手間を減らしてくれるもの。
そういうモノなら、持っていていい。
むしろ、きちんと選んで持ちたい。
安いから買うわけでもない。
高価だから価値があるわけでもない。
流行っているからでもない。
誰かが勧めているからでもない。
自分にとって必要かどうか。
基準は、そこに置きたい。
必要に迫られた断捨離から2年
あれから2年。
今でも定期的に持ち物を見直している。
ただ、以前のように「もっと減らさなければ」とは思わなくなった。
使っているなら残す。
気に入っているなら残す。
生活を快適にしてくれるなら残す。
逆に、使っていないものは手放す。
役割を終えたものも手放す。
何となく持っているだけのものも、一度考えてみる。
それだけだ。
同棲の終焉と、3LDKから1Kへの引っ越し。
入りきらず借りた0.9帖のトランクルーム。
毎月かかる保管料を減らしたくて始めた、本気の断捨離。
そして、減らすことに夢中になり、ベッドやデスクチェアまで手放して買い直した失敗。
遠回りだったと思う。
でも、その過程があったから、「何を捨てるか」ではなく「何を残すか」を考えるようになった。
私はミニマリストを目指しているわけではない。
何も持たない生活に憧れているわけでもない。
本当に価値があると思うモノには、これからもお金を使う。
ただ、余計なものはできるだけ増やさない。
3LDKから1Kへ。
必要に迫られて始まった断捨離は、2年かけて、ようやく自分なりの価値観になった。

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